Saturday, 7 December 2019

読書からの引用

訳せない日本語〜日本人の言葉と心〜
大來尚順


今、読んでいるのは「訳せない日本語~日本人の言葉と心~」という本です。しばらく真面目に勉強していなかったのですが、読書で読解力を向上ために多読しています。

この本は外国人の学習者向けではなくて、私の今の日本語能力で読むのにとても時間がかかります。なぜかというと、文章を読んでわからない言葉を調べるからです。それにちょっと長い表現は辞書で見つけられないとGoogleで調べます。辞書で調べたりすることも時間がかかりますが、それだけではなく、私の集中力は猫のように気まぐれなのです()

とにかく、「訳せない日本語」という本はとてもおすすめです。日本語が大好きな学習者も日本人も、この言語をもっと大切に思い、深く考えられるようになればと思います。

以下はこの本のハイライトを引用でを載せます。


「日本語の会話を成り立たせる高等技術」

ページ100〜103


アメリカ留学中、まったく日本語を使わない生活が長く続くことがありました。そんなとき、私の通う大学院の集中講義の講師として日本から大学教授がお見えになられました。
実は、その方は私が日本の大学でお世話になった方でした。ご高齢でえいごも話されないということもあり、光栄なことに私がアメリカ滞在中の周りのお世話をさせていただくことになりました。

その教授がアメリカに到着された日、私の大学院関係者しゅさいの歓迎会が開催されました。私は通訳のため、教授の横に座って食事をいただきながら、必要に応じて教授の日本語を英語にしたり、話しかけられる英語を日本語にしていました。そして、ある程度、落ちついたときのことでした。教授から、「カイチョウですか?」と尋ねられました。

私は、一瞬止まって、「はい、飲み会のカイチョウです」と応えました。すると、教授は硬直した直後に大笑いし、伝えたかったのは、私が示唆した「カイチョウ(会長)」ではなく、研究の進み具合は「快調」なのかと尋ねたのだということを説明され、私は顔を真っ赤にしたのを覚えています。

大げさではなく、本当にしばらく日本語を使っていなかったということもあり、「カイチョウ」という言葉が本当にただ音の響きにしか聞こえず、一体教授が何を言おうとしていたのか分からず戸惑ってしまった一瞬でした。


また、別のとき、教授にコーヒーを入れたので、ミルクを入れるかどうか尋ねたところ、「いいです」と仰いました。私は、この「いいです」を「Ok」の意味で解釈し、ミルク入れてコーヒーを渡しました。教授は御礼を言ってコーヒーを受け取られたのですが、何故か首を傾げておられました。
後から聞くと、乳製品にアレルギーをお持ちだったようです。教授が仰った「いいです」は「必要ない」の意味だったのです。しかし、せっかく作ってもらったコーヒーを捨てるのは申し訳ないと思い、お飲みになったそうです。
このときは、本当に反省しました。

これらはごく一例ですが、同じようなことが何度かありました。そこで思ったのが、日頃から日本語の独特な間の取り方や、同じ言葉でもさまざまな状況やイントネーションで異なるニュアンスや意味を持つ日本語の文化に慣れていければあ、日本語の会話は成り立たないということです。

日本語は、こと細かに表現したり説明する英語や他の西洋言語とはことなり、会話では主語を省くことや曖昧な表現が多いことが特徴です。その結果、日本語での会話には、その場の雰囲気、相手の声のトーン、発言のタイミング、表情など、目に見えるもの、見えないものを含め、さまざまな情報を察知するという高等技術が必要になります。

私たちは、普段当たり前のように日本語で会話をしていますが、実はこの高等な技術を無意識に駆使しているのです。こうして見ると、日本語の会話というのは、周囲への気配りがあって成り立つとも言えます。そんな日本語の会話に温かみと優しさを感じると共に、改めて日本語の深さと凄さを感じます。



そして、このような日本語を生んだ日本という国もまた、素晴らしいとおもわずにはいられません。きっと、日本ならではの産物は、言語だけではなく探せば他にも数多くあるはずです。せっかくご縁あって生まれ育ったこの国と、今後も深く向き合っていきたいものです。




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